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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2011年07月26日

Dikembe Mutombo

Dikembe Mutombo Mpolondo Mukamba Jean Jacque Wamutombo

今回は私が知っている中で最も名前が長いNBAプレーヤーを紹介しようと思います。
その名前は→ディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボ。
もちろん名前だけでなくNBAオールスターに選出されるほどのプレーヤーです!
コンゴ民主共和国(入団時の国名はザイール)出身で1991年NBAドラフト全体4位でデンバー・ナゲッツに入団。
ディフェンスを得意とする218cm、118kgのセンターで、通算ブロックショット数歴代2位、最優秀守備選手賞を4度受賞、オールスター戦には8度出場。背番号は55。
入団3年目のプレーオフでは、ウェスタン・カンファレンス第1シードのシアトル・スーパーソニックスを第8シードのチームとして初めて倒し、5試合で31ブロックを記録して勝利に大きく貢献。
1994-95シーズンには、平均11.5得点、12.50リバウンド、3.91ブロックショットを記録し、初の最優秀守備選手賞とAll-Defensive 2nd Teamに選出。
96年オフにアトランタ・ホークスへ移籍し、2度目の最優秀守備選手賞と、初のAll-Defensive 1st Teamに選出。
1997-98シーズンは、NBA2位の3.38ブロックショットを記録、最優秀守備選手賞とAll-NBA 3rd Team、All-Defensive 1st Team選出。
1998-99シーズンはAll-Defensive 2nd Team選出、IBM賞受賞。
1999-2000シーズン、14.10リバウンドで初のリバウンド王。
2000-01シーズンには、2年連続2度目のリバウンド王を獲得。4度目の最優秀守備選手賞、All-NBA 2nd Team、All-Defensive 1st Teamに選出された。
2001-02シーズン、大学の後輩であるアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・76ersに移籍。自身初のファイナルへ進出する。
2002-03シーズン、ジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツ移籍。2度目のファイナルへ進出。しかしいずれも優勝を逃す。その後、ニューヨーク・ニックス、シカゴ・ブルズ、ヒューストン・ロケッツとプレーし2009年引退する。

私はムトンボといえばシグネチャーモデルシューズ「アディダス・ムトンボ」とロボット様な動き、相手や観客に人差し指を振るパフォーマンスが印象に残っていますね。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7UbI1qQHKNs&feature=player_embedded



  


Posted by Renton at 19:21Comments(0)Player

2011年07月25日

He Got Game

He Got Game
ラストゲーム
(原題:He Got Game)
今回はNBA関連の映画を紹介しようと思います。
熱狂的なニックスファンのスパイク・リー(マルコムXで有名) の1998年監督作品で、デンゼル・ワシントン、ミラ・ジョヴォヴィッチ、レイ・アレン(当時ミルウォーキー・バックス)出演のバスケットボールを通じて父と息子の絆を描いた作品。
超高校級のバスケットプレーヤーであるジーザス(レイアレン)がNBAか、大学進学か決断を迫られている中、母を死なせた罪で服役中の父シェイク(デンゼル・ワシントン)が現れ、家族、恋人、コーチ、その他彼を取り巻く人々の思惑、ドラフト裏金問題などの様々な葛藤を描いた、社会性とドラマ性の2つの側面からNBAファン以外でも楽しめる作品だと思います。






  


Posted by Renton at 20:58Comments(0)News

2011年07月22日

Wonderful Japanese

Wonderful Japanese
海東奈月さん
ダラス・マーベリックスの初優勝で終わったNBA2010-2011シーズンですが、マブスのチアリーダーの中にいた日本人こそ海東奈月さんです。カッコいい!
なんと約300人が参加したオーディションを突破して20人のメンバーの1人に!
華麗なダンスと笑顔で超満員の観客を楽しませていました。
NBAのスーパースター達と一緒に仕事ができるなんて凄い!羨まし過ぎです!


海東奈月さんのブログはコチラ↓
http://ameblo.jp/adellife/



  


Posted by Renton at 19:38Comments(1)News

2011年07月21日

Ron Harper

Ron Harper
ロン・ハーパー(写真右)
 1986年のNBAドラフトで1巡目全体8位でクリーブランド・キャバリアーズに指名されNBA入り。
シカゴ・ブルズ2度目の3連覇、ロサンゼルス・レイカーズ2連覇(3連覇の最初の2年)の先発PGとしてトライアングルオフェンスをコントロールしていたことで有名な選手。S・ピッペン(写真左)の親友としても有名。
 なぜ今回ロン・ハーパーかというと、クリーブランド・キャバリアーズ、ロサンゼルス・クリッパーズ時代はSGとしてバリバリのスコアラーだったことを後で知ったことでとても印象深いプレーヤーだからだ。
 クリーブランド・キャバリアーズ、ロサンゼルス・クリッパーズ時代は、少なくとも1試合20点前後計算できるスコアラーだった。しかし膝の故障があったとはいえ、優勝した5シーズンはスターターでありながら平均10点以下だ。そのことに対しハーパーは次のように答えている。


「友人たちから、どうしてもっと得点しないのか、もっとシュートしないのかと聞かれたし、自分でもそうできることは知っていたが、それは自分の役割ではなかった」   COOL!!!

だらからこそフィル・ジャクソンHCの信頼を得て、M・ジョーダン、S・ピッペン、S・オニール、K・ブライアントといったスーパースターを影で支え、異なる2チームで5度優勝した経験を持つ数少ない選手なのだろう。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=uw9X1HX35qQ



  


Posted by Renton at 17:57Comments(0)Player

2011年07月20日

Steve Smith

Steve Smith
スティーブ・スミス
身長203cm、体重100kg。
長身ガードとして「マジック・ジョンソン2世」と呼ばれた。
1991年ドラフト5位でマイアミ・ヒートに指名されNBA入り。1995年にはアトランタ・ホークスに移り、1998年はNBAオールスターゲーム出場。その後、ポートランド・トレイルブレイザーズ、サンアントニオ・スパーズと移籍し、2003年にはNBAチャンピオンとなる。その後ニューオーリンズ・ホーネッツ、シャーロット・ボブキャッツ、マイアミ・ヒートでプレイした。
1994年世界選手権、2000年シドニーオリンピックとアメリカ代表に選ばれ優勝している。
また、慈善活動に積極的で毎年のようにチャリティーに参加し、2002年にはジョー・デュマーススポーツマンシップ賞を受賞している。
キャリア通算1試合平均、14.3得点、3.2リバウンド、3.1アシスト、3ポイントシュート成功率35.8%



動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=I8kNdb7YVjU



  


Posted by Renton at 18:20Comments(1)Player

2011年07月19日

Sharapova's sweetheart

Sharapova's sweetheart
シャラポワの婚約者として有名なブヤチッチは、スロベニア出身の現在ニュージャージー・ネッツに所属する身長201cm、体重93kgのSG。
2004年のNBAドラフト1巡目27位でロサンゼルス・レイカーズより指名され、NBA入り。
2008-09年2009-10年シーズンにはベンチスタートながら2連覇に貢献。
昨年12月に6シーズン在籍したロサンゼルス・レイカーズからネッツに移籍。平均11.4得点を記録した。

今回のNBAロックアウトを受け、現地時間15日、トルコのアナドール・エフェスと1年契約(2年目はオプション)を結んだことがわかった。NBAのロックアウトが解除された直後に契約を破棄出来るオプションが含まれているかは不明。



  


Posted by Renton at 18:07Comments(1)News

2011年07月15日

Killer crossover

Killer crossover
クロスオーバーとは素早く左右のドリブルの切り返すテクニックこと。
有名なのがティム・ハーダウェイ(Tim Hardaway)で、レッグスルーからのクロスオーバーはディフェンダーが全く反応できないほどのスピードとテクニックで「キラー・クロスオーバー」と呼ばれた。
現役プレーヤーではD・ローズ、D・ウェイド、K・ブライアント、D・ウィリアムスなどが挙げられる。









動画はコチラから↓
http://www.youtube.com/watch?v=V0HRPIu02Xo



  


Posted by Renton at 17:43Comments(0)News

2011年07月14日

Harold Miner

Harold Miner
ハロルド・マイナー
カリフォルニア州イングルウッド出身。ポジションはSGで身長196cm、体重95kg。ニックネームはベイビー・ジョーダン。
1992年のNBAドラフトの1巡目全体12位でマイアミ・ヒートに指名される。1992年組には他にS・オニール、A・モーニング、C・レイトナー、L・スプリーウェル、R・オーリーなどが指名された。
マイナーはその並外れた跳躍力(垂直跳び122cm)を活かしたキレのいいパワーダンクで、1993年、1995年のNBAオールスター・スラムダンクコンテストで優勝。
しかしながらプレーヤーとしては、マイアミで十分な出場時間を与えられず。1995年シーズン後、クリーブランド・キャバリアーズにトレードされる。キャブスでも平均出場時、平均得点はそれぞれ7.2分、3.2点で、わずか19試合の出場に終わり、解雇を言い渡される。
その後マイナーはトロント・ラプターズのトライアウトを受けるも、シーズン前に不採用を言い渡たされ、以降NBAでプレーすることがなっかた。
今回なぜマイナーを紹介したのかといえば、やはりダンクコンテストでの強烈な印象が忘れられないからである。成績は残さず歴史に名を刻んでいる数少ないプレーヤーの一人ではないだろうか。

動画はコチラから↓
http://www.youtube.com/watch?v=kUOWXG_GsvM



  


Posted by Renton at 17:31Comments(1)Player

2011年07月12日

Sean Elliott

Sean Elliott
今回は日本に馴染み深いS・エリオットを紹介したいと思います。
1989年のドラフト一巡目でサンアントニオ・スパーズ入団。 デトロイト・ピストンズの一員であった1993-1994年シーズン(デトロイト・ピストンズ)を除き、2001年引退までスパーズで過ごす。
1999年にはスターターとしてスパーズ優勝に貢献。その後腎臓移植手術を受け、引退が懸念されたが見事チームに復帰し、NBA史上初めて、腎臓移植後に復帰した選手になった。背番号32番はスパーズと出身校のアリゾナ大学で永久欠番となっている。
通算成績は、1試合当たり14.2得点、4.3リバウンド、2.6アシスト。キャリアハイは1992年12月18日の対ダラス戦で、41得点。
1992-1993年、1995-1996年シーズンはオールスター選出される。
また妻が日系人で、シーズンオフには日本(四国)を訪れるなど、日本ファンに人気があった。


一番印象に残った3ポイントシュート動画↓
http://www.youtube.com/watch?v=u1EL38SKyX8



  


Posted by Renton at 17:29Comments(1)Player

2011年07月11日

Barcelona 1992

Barcelona 1992

(C)
P・ユーイング
D・ロビンソン
C・レイトナー

(PF)
K・マローン
C・バークレー

(SF)
L・バート
S・ピッペン

(SG)
M・ジョーダン
C・ドレクスラー
C・マリン

(PG)
M・ジョンソン
J・ストックトン

(HC)
C・デイリー


バルセロナオリンピックから初めてプロの出場が認められ、アメリカは威信を賭けたNBA最強チーム結成。まさに“夢”のようなチーム、DREAM TEAMとなった。
結果はもちろん平均得失点差43.8点という脅威的な成績を残し圧倒的な強さで金メダルを獲得。
私はこの時初めてM・ジョーダンやM・ジョンソンのプレーを見てNBAにはまってしまった…
しかし、今考えれば、なぜI・トーマスがいないのか…、当時学生だったC・レイトナー(のちにミネソタティンバーウルブス)が入っているのか多少疑問が残る。しかもC・レイトナーはS・オニール(こちらも当時学生)に競り勝って出場している。
とはいえ、後にも先にも最強のDREAM TEAMだった。

動画はコチラから↓
http://www.youtube.com/watch?v=ATvVtuf9I7g



  


Posted by Renton at 17:34Comments(0)News

2011年07月07日

Lockout

Lockout
NBAは現地時間7月1日、選手協会と新労使協定が締結されるまで、ロックアウトすることを発表した。
ロックアウト中は、選手は給与を受け取ることができず、チームは選手と交渉、契約、トレードをできない。チームの練習施設を使うことも、サマーキャンプ、エキシビションゲーム、練習、ワークアウト、コーチングセッション、チームミーティングもできない。


ロックアウト(Lockout)
 「締め出し」ストライキとは逆の手法である。



  


Posted by Renton at 16:57Comments(1)News

2011年07月06日

POWERBALANCE

POWERBALANCE
先日引退したS・オニール"や"K・ブライアント"、"S・ナッシュ"、"P・ピアース"、"C・アンソニー"など多くのNBA選手やアスリートが腕に付けている"アレ"って?
このリストバンドには特定の周波数を記憶させたホログラムが埋め込まれており、その周波数の作用により体のバランスや調子が良くなるパワーバランスというものらしい。


パワーバランスについてはコチラ↓

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Posted by Renton at 21:15Comments(2)News

2011年07月06日

Shawn Kemp

今回はシーズンオフなので私の好きなプレーヤーの紹介をしたいと思います。

ショーン・ケンプは1989年度にシアトル・スーパーソニックスに全体17位で入団。高卒ルーキーとしてリーグに加わった彼は1年目から先発として定着し、2年目には平均15得点、8.4リバウンドと優秀な成績を残した。3年目以降は平均得点とリバウンドで二桁をマークするようになり、雨が多いシアトルの気候から、雨のようにダンクを降らせるという意味で「レインマン」というニックネームで活躍。(支配するという意味の reign ともかけられている。)1993年から1998年まで6年連続でオールスター出場。1994年にはドリームチームIIのメンバーとしてバスケットボール世界選手権優勝。
1996年にはジョージ・カールヘッドコーチに率いられゲイリー・ペイトン、デトレフ・シュレンプら好選手を擁し、NBAファイナルに進出。ケンプはファイナルの全6試合で平均23.3得点、10リバウンド、2ブロックと活躍し。しかしチームは2勝4敗で敗れる。
1997年にクリーブランド・キャバリアーズに移籍。クリーブランドでプレーした3年間でケンプは平均18得点以上、10リバウンド以上と堅調な成績を残すが、この頃から体重増加してくる。
2000年にケンプはポートランド・トレイルブレイザーズへ移籍。ブレイザーズは層の厚いチームであることに加え、この時期のケンプはアルコール依存症やコカインの服用など問題を抱えており、シーズン中に出場した68試合のうち先発はわずか3試合、平均得点は6.5、平均リバウンド数は3.8と個人成績を大幅にダウンさせた。
2002年にはオーランド・マジックへ移籍し79試合中55試合で先発したが、平均得点6.8、平均リバウンド数3.8、平均出場時間約20分、このシーズンを最後に選手生活にピリオドを打つ。
キャリア通算、出場試合数は1,051、通算得点は 15,347、通算リバウンド数は8,834。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OlAuCLFqjmY
ショーン・ケンプ/ザ・レイン・マン [VHS]



  


Posted by Renton at 17:34Comments(0)Player