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2011年09月28日

Charles Barkley


チャールズ・バークレー
ご存知NBAを代表するPFで、「空飛ぶ冷蔵庫」「サー・チャールズ」の愛称で人気のあったプレーヤー。その巨体に見合わぬ高い運動能力と技術、ユーモアのある毒舌キャラとして、またM・ジョーダンの親友としても有名。
NBA史上5人しかいない、キャリア通算20,000得点、10,000リバウンド、4,000アシストを記録、オリンピックでもドリームチームに選出され1992年バルセロナ、1996年アトランタで金メダルを獲得し、2006年にはバスケットボール殿堂入りを果たしている。
1984年NBAドラフト全体5位で、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(76ers)より指名を受けNBA入り。76ersで1992年までプレーし1992-1996年 フェニックス・サンズ、1996-2000年 ヒューストン・ロケッツと活躍する。
サンズ最初のシーズンはK・ジョンソン、D・マーリー、D・マニングとチームメイトに恵まれ、シーズン62勝20敗と好成績を上げ、バークレーはシーズンMVPを受賞。
チームもNBAファイナルに進出するがM・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに敗れる。
1996年チャンピオンリングを求めH・オラジュワンやC・ドレクスラー擁するヒューストン・ロケッツに移籍。しかしNBAファイナル進出は果たせなかった。
1999-2000年シーズン左膝の怪我のためには20試合の出場とどまり、このシーズンを最後に引退。2004年背番号34はフェニックス・サンズの永久欠番となる。
キャリア通算、22.1得点、11.7リバウンド、3.9アシスト
覚えている人は覚えているだろうが、昔日本のCMにもエースコックのカップラーメン「豚キムチ」で出演。また、NIKEのCMでゴジラと闘ったり、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」にも出演しています。









  


Posted by Renton at 19:48Comments(0)Player

2011年09月21日

A dunk of 168cm


「小さかったら高く跳べ!」by.Spud Webb
今回は168cmのスラムダンクチャンピオン”スパッド・ウェブ”を紹介したいと思います。
(もちろん上写真の真ん中)
1986年のNBAスラムダンクコンテストで優勝し、日本でもミズノのCM「小さかったら高く跳べ!」で有名になりました。かなり昔ですが… なんと垂直跳びは117cm!
選手としても1985年NBAドラフト87位ながら、キャリアで8072得点4342アシストを記録し、アトランタ・ホークス、 サクラメント・キングス、 ミネソタ・ティンバーウルブズ、 オーランド・マジックで1997-1998年シーズンまで大男達を相手に活躍しました。
残念ながらミズノのCM動画は見つかりませんでしたが、1986年のスラムダンクコンテストの動画がありますので、ぜひ見てください!





  


Posted by Renton at 20:12Comments(0)Player

2011年09月12日

Larry Bird


今回は現役時代から「Legend」と言われ、ボストン・セルティックスを3度の優勝に導いた白人最高のプレーヤー「ラリー・バード」を紹介したいと思います。
身長206cm、体重100kgのSFで、1978年ドラフト1順目6位で指名を受け、大学を卒業した翌シーズンよりボストン・セルティックス入団。
ルーキーシーズン、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)獲得。またルーキーでオールNBAファーストチームに選出される。
翌1980-1981年シーズンにロバート・パリッシュ、ケヴィン・マクヘイルを獲得し、62勝20敗でプレイオフに進みNBAファイナルに進出。NBAファイナルではヒューストン・ロケッツと対戦し、2年目にして初のチャンピオンリングを手に入れる。
その後も1984年、1986年と優勝。同時にシーズンMVPとファイナルMVPも受賞している。
オールスターも1980年-1987年、1989年-1992年と選出され、1986年-1988年にはスリーポイントコンテストで3連覇している。
Magic Johnson
マジック・ジョンソンとは大学時代にNCAA決勝を争って以来、ライバルとメディアに注目され、マジック・ジョンソン率いるレイカーズとバードのセルティックスは1980年代にNBAファイナルで3回対決。レイカーズ優勝2回(1985年、1987年)、セルティックス優勝1回(1984年)となっている。
その後も30歳を超えた1987-1988年シーズンも1試合平均29.9得点(リーグ3位)、6.1アシスト、9.3リバウンドと活躍。
バードが踵の手術で6試合の出場にとどまった1988-1989年シーズン、チームは42勝40敗に終わり、プレイオフ1回戦で敗退している。
翌1989-1990年シーズン、バードは復活し1試合平均で24.3得点、7.5アシスト、9.5リバウンドの成績を残すが、チームはプレイオフでは1回戦でニックスに2勝3敗で敗退。
1990-1991年シーズンは背中の痛みが悪化し22試合欠場、1試合平均20点を割る。チームはプレイオフ進出するもカンファレンス・セミファイナルでピストンズに2勝4敗で敗退。シーズン後にバードは背中の手術を受けた。
1991-1992年シーズンも背中の痛みが続き、45試合の出場にとどまる。チームはプレイオフのカンファレンス・セミファイナルでクリーブランド・キャバリアーズに3勝4敗で敗退。
バードはこの年の夏にドリームチームⅠの一員としてバルセロナオリンピックに出場し金メダル獲得する。その後バードは引退を発表した。
オールスターには1980年-1987年、1989年-1992年と選出され、1986年-1988年にはスリーポイントコンテストで3連覇している。
背番号33番はボストン・セルティックスの永久欠番となっており、1998年にはバスケットボール殿堂入りを果たす。
引退後も1997-1998年シーズンに地元インディアナ・ペイサーズ監督に就任し、チームをカンファレンス・ファイナルに導き、最優秀監督賞を受賞している。







  


Posted by Renton at 20:02Comments(0)Player

2011年09月09日

Clyde Drexler


クライド・ドレクスラー 身長201cm、体重93kgのSGでキャリア平均得点は20.4点、通算得点は22,195点。
NBA屈指のダンカーで、グライダーの滑空の様な滞空時間の長いジャンプから、ニックネームは「クライド・ザ・グライド」。
1983年ドラフト全体14番目でポートランド・トレイルブレイザーズ入団。
ルーキーシーズンは平均出場時間も17分台と出番が少なく、1試合平均7.7得点。
しかし2年目の1984-1985年シーズンから1試合平均17.2点前と年の倍以上の活躍を見せ、プレイオフ進出に大きく貢献。
1985-1986年シーズン、1試合平均18.5得点、8.0アシスト、2.63スティール、トリプルダブル4回、オールスターも選出と活躍。
1986-1987年シーズン、1試合平均21.7得点、6.3リバウンド、6.9アシストを記録。(この1試合平均21得点以上、6リバウンド以上、6アシスト以上はラリー・バード、マジック・ジョンソンの2人しか達成していなかった。)
1987-1988年シーズンも、年間2,185得点、1試合平均27得点と活躍し、オールスター選出。その後1994年まで連続でオールスター選出される。
1989-1990年シーズンには念願のNBAファイナルに進出するが、2連覇を狙うデトロイト・ピストンズに敗北。
翌1990-1991年シーズンもプレイオフに進出するもウエスタン・カンファレンスファイナルでロサンゼルス・レイカーズにファイナル進出を阻まれる。
1991-1992年シーズン、オールスターで初めてスターティングメンバーとして出場し、、28分間で、22得点、9リバウンド、6アシスト、2ブロックショットを記録。さらにチームは2度目のNBAファイナルまで進んだが、M・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズに惜しくも敗れこの年も優勝を逃した。
1993-1994年シーズン、NBAで47番目となる17,000得点を達成。
1994-1995年シーズン途中、大学時代のチームメイト、アキーム・オラジュワン率いる地元ヒューストン・ロケッツに電撃移籍、オラジュワンに次ぐ1試合20.5得点と活躍。3度目のNBAファイナルに進出し、S・オニール率いる、オーランド・マジックを4連勝で破り、念願のNBAチャンピオンリングを手にする。
1995-1996年シーズンは故障から52試合出場にとどまるも、NBAで24番目となる20,000得点を達成。
1996-1997年シーズン、フェニックス・サンズのスーパースター、チャールズ・バークレーがNBAチャンピオンリングを求めチームに移籍、スーパースター3人を抱えるロケッツは周囲の注目を集める。しかし優勝はできず。
翌年、1997-1998年シーズンを最後に引退すると表明、チームで最も高い平均得点を稼ぎ出し、NBA史上2人しか達成していない20,000得点、6,000リバウンド、6,000アシストを達成しNBAキャリアを締めくくった。







  


Posted by Renton at 19:24Comments(0)Player

2011年09月08日

Blake Griffin


ブレイク・グリフィン 身長208cm、体重113kgの優れた体格と身体能力、敏捷性を併せ持つPF。
2009年NBAドラフト全体1位指名でロサンゼルス・クリッパーズ入団。
しかし、プレシーズンマッチで足に重傷を負い、ルーキーイヤーは全休となってしまう。
翌2010-2011シーズン、NBAキャリアをスタートさせ、全試合出場で平均22.5得点、12.1リバウンドというNBAデビュー年とは思えない成績で新人王獲得。(前シーズン全休の為ルーキー扱いだった)
投票では100年に一人の逸材とまで言われたジョン・ウォールら他の選手を寄せ付けず、ラリー・バード以来となる満票での獲得だった。
そして、グリフィンといえば身体能力を活かしたパワフルなスラムダンクだ。
NBA DUNK CONTEST 2011では日本のニュースでもよく取り上げられた、あの車越えダンクで見事優勝している。






  


Posted by Renton at 17:56Comments(0)Player

2011年09月07日

Latrell Sprewell

ラトレル・スプリーウェル

今回は高い運動能力と野性的な性格が好きだった"Spree(ばか騒ぎ)”ことL・スプリーウェルを紹介します。
身長196cm、体重88kgのSGで1992年NBAドラフト全体24位でゴールデンステート・ウォリアーズに入団。
ルーキーシーズンから平均得点15.4点でオールルーキーセカンドチーム選出。
2年目のシーズンは総出場時間リーグ1位の3,533分、平均得点21点をあげ、オールNBAファーストチーム、オールNBAディフェンシブセカンドチーム同時選出。1994年から3年連続でオールスターに選出される。
しかしチームはC・ウェバー、C・マリンなどスター選手を揃えていたが、低迷を続ける。そして…
首絞め事件
1997年12月1日のチーム練習で、P.J.カーリシモHCと口論になり、何度も出て行け言われたスプリーは、「殺すぞ」と脅しながらカーリシモHCの首を掴んだ。チームメートに引き離されても、再び練習場に戻り暴行を続けようとしたという。
この事件は大きく報道され、数日後NBAはスプリーに対し無期限(のちに82試合1シーズン)の出場停止を言い渡した。
ロックアウトのあった1998-1999年シーズンからはP・ユーイングやA・ヒューストン、M・キャンビー、L・ジョンソン擁するニューヨーク・ニックスでプレーし、チーム2位の平均16.4点でプレーオフ進出(第8シード)に貢献する。
プレーオフでは1回戦マイアミ・ヒート、続くカンファレンス・セミファイナルでアトランタ・ホークス、カンファレンス・ファイナルインディアナ・ペイサーズを破りNBA史上初めて第8シードからファイナルへ進出する。
NBAファイナルでは。「ツインタワー」と呼ばれたD・ロビンソンとT・ダンカンを擁するサンアントニオ・スパーズと対戦し、高さと速さの対決と言われた。
結果は4勝1敗でスパーズが優勝するが、スプリーは5試合平均26得点活躍だった。
1999-2000年シーズンも、スプリーはニックスの先発メンバーとして平均18.6得点をあげている。
ニックスでは2002年までプレイする。
その後2002-2005年、 ミネソタ・ティンバーウルブズでプレー後引退する。
2006年には、再び性行為中に女性の首を絞めるという事件を起こしている…





  


Posted by Renton at 18:27Comments(0)Player

2011年09月05日

A giant of 160cm

Muggsy Bogues

今回は160cmの巨人ということで「マグシー・ボーグス」を紹介したいと思います。
ボーグスは身長160cm、体重62kgでNBA史上最も小さい選手で、もちろんPGです。
1987年NBAドラフトで全体の12位でワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)に入団。
当時のNBA史上最も背の高かった身長231cmのマヌート・ボル(上の写真左)同じチームでプレイしています。
1988-1989年シーズンからエクスパンション・ドラフトで指名されシャーロット・ホーネッツへ移籍。
ホーネッツではアロンゾ・モーニング 、 ラリー・ジョンソン と共にで10シーズン活躍した。
ホーネッツ時代は「シャーロット市長選に立候補したら当選間違いなし」と言われるほど地元で絶大な人気だった。
1997-1998年シーズンにトレードでゴールデンステート・ウォリアーズへ移籍、その後トロント・ラプターズ、ニューヨーク・ニックス、ダラス・マーベリックスへと移籍し引退。





  


Posted by Renton at 17:30Comments(0)Player

2011年09月02日

Mark Price


マーク・プライス
身長183cm、体重81kgのフリースローと3ポイントシュートがメチャうまいPG。
1986年NBAドラフト全体25位でダラス・マーベリックスに指名され、ドラフト当日にキャバリアーズへトレードされる。評論家に小さすぎる、遅すぎるNBAでは通用しないと酷評されたが、オールスター選出4回、3ポイントシュートコンテスト優勝2回とリーグを代表するPGとなった。
1994年の世界選手権ではドリームチームIIに選出され、金メダル獲得。
1995-1996年シーズンにワシントン・ブレッツへ移籍、その後1996-1997年シーズンはゴールデンステート・ウォリアーズ、1997-1998年シーズンはオーランド・マジックでプレーし、キャリア通算フリースロー成功率90.4%(NBA歴代1位)という凄い記録を残して引退している。
背番号25はキャブスの永久欠番。





  


Posted by Renton at 18:10Comments(0)Player

2011年08月30日

Dana Barros


ディナ・バロス 身長180cm、体重75 kgのPG。
1989年NBAドラフト、1順目16位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマ・サンダー)入団。
1989-1993 Seattle SuperSonics
1993-1995 1993 - 1995 Philadelphia 76ers
1995-2000 1995 - 2000 Boston Celtics
2000-2002 Detroit Pistons
2004-2004 Boston Celtics
S・ケンプが好きでよくシアトル・スーパーソニックスの試合を観ていたので、その時の印象が特に残っています。
1994-1995年シーズン、オールスター選出、MIP受賞。
1991-1992年シーズン、3Pシュート成功率1位。 89試合連続3Pシュート成功。等々
あまり有名でないがキャリア3Pシュート成功率41.1%と名シューターでした。







  


Posted by Renton at 19:33Comments(0)Player

2011年08月23日

Dominique Wilkins

ドミニク・ウィルキンス
身長203cm、体重102kgのSFでニックネームは "The Human Highlight Film."
J・アービング、M・ジョーダンと並び最高のスラムダンカーの1人でスラムダンクコンテストで優勝2回、NBAオールスターゲーム選出9回、NBAの殿堂入りも果たしている。(21番はホークスの永久欠番)
1982年のNBAドラフトでユタ・ジャズから指名され開幕前にアトランタ・ホークスに移籍。
ルーキーシーズン、NBAオールルーキーチーム選出。
1983-84~1993-94年シーズンまで11シーズン連続して1試合平均20得点以上を記録。
1985-86年シーズンは1試合平均30.3得点で得点王も獲得している。
1993-94年シーズン中にトレードでロサンゼルス・クリッパーズへ。その後、ボストン・セルティックス、サンアントニオ・スパーズ、オーランド・マジック、ヨーロッパのチームでプレイした。
1994年にはドリームチームIIに選出され、世界選手権で優勝している。





  


Posted by Renton at 17:38Comments(1)Player

2011年08月19日

Rick FOX

リック・フォックス
身長201cm、体重104kgのSF。(国籍カナダ)
1991年NBAドラフトで1巡目全体24位でボストン・セルティックス入団。
ルーキーで開幕戦から先発として活躍。NBAオールルーキー2ndチーム選出。
1997年にロサンゼルス・レイカーズに移籍し2000年、2001年、2002年にはS・オニール、K・ブライアントと共に3連覇達成。
2004年に古巣セルティックスに移籍、シーズン開幕前に引退。
ロサンゼルス・レイカーズに所属していた1997年から俳優とした活動していたことで有名で以前紹介した″He Got Game″にも出演していた。
とにかくシブい活躍(3ポイントとか…)をする選手だった。彼がいなければレイカーズの3ピートはなかったかもしれない…






  


Posted by Renton at 18:43Comments(0)Player

2011年08月12日

Thunder Dan

今回は"サンダー・ダン″ことDan Majerle(ダン・マーリー)!
身長198センチ、体重98キロのSF。SGもしてたかな…
1988年NBAドラフトで1巡目全体14位でフェニックス・サンズ入団。
たしか、マーリーもドラフトでかなりブーイングを受けた選手だったような記憶が…
しかしマーリーは1992年、1993年、1995年にオールスター選出。1994年にはドリームチームIIに選出されて世界選手権優勝。最終的には背番号9はフェニックス・サンズ永久欠番になるほどの選手に!
また、1991年と1993年にはオールデフェンシブセカンドチームに選出されている。
1993年にはC・バークレー、K・ジョンソンらとNBAファイナルに進出するがM・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの前に敗退する。
1995-1996年シーズンはクリーブランド・キャバリアーズで、1996-2001年シーズンはマイアミ・ヒートで過ごし、2001-2002年シーズンに古巣のサンズに戻り引退。
ガッツ溢れるプレースタイルと3ポイントシュートが得意で、私は筋肉とジャンプもせずに打つ3ポイントシュートが印象的だった。3ポイント成功数は1360で現時点で歴代22位。
ちなみに「Majerle」はアメリカ人でもまともに読めないらしい…
フェニックスにあるレストラン・バー「Majerle's」を経営していることでも有名。
Majerle's → http://www.majerles.com/

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QFBE-7mB2CM&feature=related



  


Posted by Renton at 18:29Comments(0)Player

2011年08月09日

Jamal Mashburn

ジャマール・マッシュバーン
身長203cm、体重109kgのSF。
ニックネームは“Monster Mash”
1993年NBAドラフト1巡目4位でダラス・マーベリックス入団。
1993-1994年シーズンはルーキーシーズンながら73試合に先発出場、1試合平均19.2点4.5リバウンドを記録しオールルーキーファーストチーム選出される。
翌1994年J・キッドを獲得し、J・ジャクソン、J・マッシュバーンで“トリプルJ”結成。
しかし“トリプルJ”の個人成績は伸びたものの3人間に不仲等もあり、チームの成績は伸び悩む。
1996-1997年シーズンには3人の関係がいよいよ悪化。マッシュバーンの個人成績も怪我もあり低下。
そしてシーズン中にマイアミ・ヒートにトレードされる。
1997-1998年シーズン、ヒートではT・ハーダウェイ、A・モーニングといったスコアラーがおり、あまり得点機会を得ることができず、怪我に悩まされこともあって1試合平均15.1点に留まった。
1999-2000年シーズンは76試合に出場し、1試合平均17.5点を記録。復活の兆しを見せたが、オフにはシャーロット・ホーネッツへトレードされる。
2000-2001年シーズンはホーネッツでは若いチームを牽引し、76試合に出場、1試合平均20.1点7.6リバウンド5.4アシストを記録し、完全復活を果たす。
2001-2002年シーズンは怪我により42試合を欠場するものの、ホーネッツがシャーロットからニューオーリンズへと本拠地を移した翌2002-2003年シーズンにはキャリア初となるシーズン全82試合に出場し、初のオールスター選出。オールスターゲームでは14分間で10得点、4リバウンドを記録した。
2003-2004年シーズンは開幕から1月まで欠場が続き、復帰後1試合平均20.8点を記録したものの、3月7日のトロント・ラプターズ戦を最後に出場試合は19試合に留まった。
2004-2005根年シーズンは治療に専念し開幕から参加せず、シーズン途中ホーネッツからフィラデルフィア・76ersにトレードされ、翌シーズンも開幕から故障者リスト入り、シーズン途中76ersはマッシュバーンを解雇し、現役引退となった。
私にとってマッシュバーンといえばホーネッツ時代の印象が強く、地味だがインサイドからスリーポイントシュートまで確実に点数を重ね、終わってみれば20点前後は稼いでいるといった感じだった。あのディフェンスのスペシャリストS・ピッペンが最も守りづらい選手と発言したらしい。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hyyhAmnBacg&feature=player_embedded



  


Posted by Renton at 20:29Comments(0)Player

2011年08月03日

Damon Stoudamire

Damon Stoudamire
デイモン・スタウダマイアー

身長178cm、体重78kgのPG。
1995年NBAドラフト1巡目7位でトロント・ラプターズ入団。
ドラフトでスタウダマイアーの名前が読み上げられた瞬間はドラフト会場内にブーイングが起った(その時の様子が下の動画にあります)が、ルーキーシーズンに抜群のスピードとクイックネスで得点とアシストを量産、1試合平均19得点9.3アシストの記録を残し、NBA史上最も身長の低い新人王獲得選手となって地元ファンの予想を良い意味で大きく裏切った。
翌1996-1997年シーズンには1試合平均20得点を突破。3年目の1997-1998年シーズンも1試合平均19.4得点8.1アシスト安定した個人成績を残すが、チーム成績は向上せず、シーズン中にポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされた。
選手層の厚いブレイザーズでも先発PGの座は確保したが出場時間は減少し、1998-1999年シーズンの個人成績は12.6得点6.2アシストと数字を落とした。
翌1999-2000寝年シーズンS・ピッペンがチームに加入すると、選手層にさらに厚みを増したブレイザーズはカンファレンスファイナルに進出する。
その後8シーズン、ポートランド・ブレイザーズで過ごす。
2005年にメンフィス・グリズリーズに移籍。12月30日の古巣ブレイザーズ戦で右膝の腱を断裂の大怪我を負い、残りのシーズンを棒に振る事態となった。翌2006-2007年シーズンも平均得点は二桁を下回った。
2008年グリズリーズを解雇され、サンアントニオ・スパーズに移籍。 チームメイトにトニー・パーカーがいたこともありほとんど出番がなく。オフにも完全FA。
私はブレイザーズ時代が時に好きで、Mighty Mouseのタトゥーが印象に残っています。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=WY06oRtdHg8



  


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2011年08月01日

Eddie Jones

Eddie Jones

エディー・ジョーンズ
身長198cm、体重91kgのSG。
愛称はEJ。
1994年ドラフト1巡目10位でロサンゼルス・レイカーズ入団。ルーキーイヤーは1試合平均14得点2スティールでオールルーキーファーストチームに選出。
1996-1997年シーズンにオールディフェンスチームに初選出、オールスターゲームにも初出場を果たした。
1997-1998年シーズンにはS・オニール、K・ブライアントと共にチームを引っ張り、61勝21敗の好成績でカンファレンスファイナル進出。
しかしK・ブライアントとポジションがカブっていたたこともあり1998-1999年シーズン中にシャーロット・ホーネッツ(現在ボブキャッツ)へ。
1999-2000年シーズンは、1試合平均20.1得点4.8リバウンド4.2アシスト2.7スティールの好成績を残し、初のオールNBAサードチーム、3シーズン連続のオールディフェンスセカンドチームに選出された。
2000-2001年シーズンにはマイアミ・ヒートへ移籍。ヒートでもリーディングスコアラーとして活躍するがチームは低迷期に入っており、ヒートで初めてプレイオフを逃す。
2003年のNBAドラフトでドD・ウェイドを獲得し、翌2004年にはS・オニールもトレードで獲得。
ヒートは優勝を狙えるイースタンカンファレンス屈指の強豪になるが、2005年のオフにメンフィス・グリズリーズにトレードる。
その後古巣マイアミ・ヒート、ダラス・マーベリックスとプレーして引退。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hkIDWYnOZi0



  


Posted by Renton at 20:53Comments(0)Player

2011年07月26日

Dikembe Mutombo

Dikembe Mutombo Mpolondo Mukamba Jean Jacque Wamutombo

今回は私が知っている中で最も名前が長いNBAプレーヤーを紹介しようと思います。
その名前は→ディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボ。
もちろん名前だけでなくNBAオールスターに選出されるほどのプレーヤーです!
コンゴ民主共和国(入団時の国名はザイール)出身で1991年NBAドラフト全体4位でデンバー・ナゲッツに入団。
ディフェンスを得意とする218cm、118kgのセンターで、通算ブロックショット数歴代2位、最優秀守備選手賞を4度受賞、オールスター戦には8度出場。背番号は55。
入団3年目のプレーオフでは、ウェスタン・カンファレンス第1シードのシアトル・スーパーソニックスを第8シードのチームとして初めて倒し、5試合で31ブロックを記録して勝利に大きく貢献。
1994-95シーズンには、平均11.5得点、12.50リバウンド、3.91ブロックショットを記録し、初の最優秀守備選手賞とAll-Defensive 2nd Teamに選出。
96年オフにアトランタ・ホークスへ移籍し、2度目の最優秀守備選手賞と、初のAll-Defensive 1st Teamに選出。
1997-98シーズンは、NBA2位の3.38ブロックショットを記録、最優秀守備選手賞とAll-NBA 3rd Team、All-Defensive 1st Team選出。
1998-99シーズンはAll-Defensive 2nd Team選出、IBM賞受賞。
1999-2000シーズン、14.10リバウンドで初のリバウンド王。
2000-01シーズンには、2年連続2度目のリバウンド王を獲得。4度目の最優秀守備選手賞、All-NBA 2nd Team、All-Defensive 1st Teamに選出された。
2001-02シーズン、大学の後輩であるアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・76ersに移籍。自身初のファイナルへ進出する。
2002-03シーズン、ジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツ移籍。2度目のファイナルへ進出。しかしいずれも優勝を逃す。その後、ニューヨーク・ニックス、シカゴ・ブルズ、ヒューストン・ロケッツとプレーし2009年引退する。

私はムトンボといえばシグネチャーモデルシューズ「アディダス・ムトンボ」とロボット様な動き、相手や観客に人差し指を振るパフォーマンスが印象に残っていますね。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7UbI1qQHKNs&feature=player_embedded



  


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2011年07月21日

Ron Harper

Ron Harper
ロン・ハーパー(写真右)
 1986年のNBAドラフトで1巡目全体8位でクリーブランド・キャバリアーズに指名されNBA入り。
シカゴ・ブルズ2度目の3連覇、ロサンゼルス・レイカーズ2連覇(3連覇の最初の2年)の先発PGとしてトライアングルオフェンスをコントロールしていたことで有名な選手。S・ピッペン(写真左)の親友としても有名。
 なぜ今回ロン・ハーパーかというと、クリーブランド・キャバリアーズ、ロサンゼルス・クリッパーズ時代はSGとしてバリバリのスコアラーだったことを後で知ったことでとても印象深いプレーヤーだからだ。
 クリーブランド・キャバリアーズ、ロサンゼルス・クリッパーズ時代は、少なくとも1試合20点前後計算できるスコアラーだった。しかし膝の故障があったとはいえ、優勝した5シーズンはスターターでありながら平均10点以下だ。そのことに対しハーパーは次のように答えている。


「友人たちから、どうしてもっと得点しないのか、もっとシュートしないのかと聞かれたし、自分でもそうできることは知っていたが、それは自分の役割ではなかった」   COOL!!!

だらからこそフィル・ジャクソンHCの信頼を得て、M・ジョーダン、S・ピッペン、S・オニール、K・ブライアントといったスーパースターを影で支え、異なる2チームで5度優勝した経験を持つ数少ない選手なのだろう。

動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=uw9X1HX35qQ



  


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2011年07月20日

Steve Smith

Steve Smith
スティーブ・スミス
身長203cm、体重100kg。
長身ガードとして「マジック・ジョンソン2世」と呼ばれた。
1991年ドラフト5位でマイアミ・ヒートに指名されNBA入り。1995年にはアトランタ・ホークスに移り、1998年はNBAオールスターゲーム出場。その後、ポートランド・トレイルブレイザーズ、サンアントニオ・スパーズと移籍し、2003年にはNBAチャンピオンとなる。その後ニューオーリンズ・ホーネッツ、シャーロット・ボブキャッツ、マイアミ・ヒートでプレイした。
1994年世界選手権、2000年シドニーオリンピックとアメリカ代表に選ばれ優勝している。
また、慈善活動に積極的で毎年のようにチャリティーに参加し、2002年にはジョー・デュマーススポーツマンシップ賞を受賞している。
キャリア通算1試合平均、14.3得点、3.2リバウンド、3.1アシスト、3ポイントシュート成功率35.8%



動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=I8kNdb7YVjU



  


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2011年07月14日

Harold Miner

Harold Miner
ハロルド・マイナー
カリフォルニア州イングルウッド出身。ポジションはSGで身長196cm、体重95kg。ニックネームはベイビー・ジョーダン。
1992年のNBAドラフトの1巡目全体12位でマイアミ・ヒートに指名される。1992年組には他にS・オニール、A・モーニング、C・レイトナー、L・スプリーウェル、R・オーリーなどが指名された。
マイナーはその並外れた跳躍力(垂直跳び122cm)を活かしたキレのいいパワーダンクで、1993年、1995年のNBAオールスター・スラムダンクコンテストで優勝。
しかしながらプレーヤーとしては、マイアミで十分な出場時間を与えられず。1995年シーズン後、クリーブランド・キャバリアーズにトレードされる。キャブスでも平均出場時、平均得点はそれぞれ7.2分、3.2点で、わずか19試合の出場に終わり、解雇を言い渡される。
その後マイナーはトロント・ラプターズのトライアウトを受けるも、シーズン前に不採用を言い渡たされ、以降NBAでプレーすることがなっかた。
今回なぜマイナーを紹介したのかといえば、やはりダンクコンテストでの強烈な印象が忘れられないからである。成績は残さず歴史に名を刻んでいる数少ないプレーヤーの一人ではないだろうか。

動画はコチラから↓
http://www.youtube.com/watch?v=kUOWXG_GsvM



  


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2011年07月12日

Sean Elliott

Sean Elliott
今回は日本に馴染み深いS・エリオットを紹介したいと思います。
1989年のドラフト一巡目でサンアントニオ・スパーズ入団。 デトロイト・ピストンズの一員であった1993-1994年シーズン(デトロイト・ピストンズ)を除き、2001年引退までスパーズで過ごす。
1999年にはスターターとしてスパーズ優勝に貢献。その後腎臓移植手術を受け、引退が懸念されたが見事チームに復帰し、NBA史上初めて、腎臓移植後に復帰した選手になった。背番号32番はスパーズと出身校のアリゾナ大学で永久欠番となっている。
通算成績は、1試合当たり14.2得点、4.3リバウンド、2.6アシスト。キャリアハイは1992年12月18日の対ダラス戦で、41得点。
1992-1993年、1995-1996年シーズンはオールスター選出される。
また妻が日系人で、シーズンオフには日本(四国)を訪れるなど、日本ファンに人気があった。


一番印象に残った3ポイントシュート動画↓
http://www.youtube.com/watch?v=u1EL38SKyX8



  


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