2011年08月09日
Jamal Mashburn

身長203cm、体重109kgのSF。
ニックネームは“Monster Mash”
1993年NBAドラフト1巡目4位でダラス・マーベリックス入団。
1993-1994年シーズンはルーキーシーズンながら73試合に先発出場、1試合平均19.2点4.5リバウンドを記録しオールルーキーファーストチーム選出される。
翌1994年J・キッドを獲得し、J・ジャクソン、J・マッシュバーンで“トリプルJ”結成。
しかし“トリプルJ”の個人成績は伸びたものの3人間に不仲等もあり、チームの成績は伸び悩む。
1996-1997年シーズンには3人の関係がいよいよ悪化。マッシュバーンの個人成績も怪我もあり低下。
そしてシーズン中にマイアミ・ヒートにトレードされる。
1997-1998年シーズン、ヒートではT・ハーダウェイ、A・モーニングといったスコアラーがおり、あまり得点機会を得ることができず、怪我に悩まされこともあって1試合平均15.1点に留まった。
1999-2000年シーズンは76試合に出場し、1試合平均17.5点を記録。復活の兆しを見せたが、オフにはシャーロット・ホーネッツへトレードされる。
2000-2001年シーズンはホーネッツでは若いチームを牽引し、76試合に出場、1試合平均20.1点7.6リバウンド5.4アシストを記録し、完全復活を果たす。
2001-2002年シーズンは怪我により42試合を欠場するものの、ホーネッツがシャーロットからニューオーリンズへと本拠地を移した翌2002-2003年シーズンにはキャリア初となるシーズン全82試合に出場し、初のオールスター選出。オールスターゲームでは14分間で10得点、4リバウンドを記録した。
2003-2004年シーズンは開幕から1月まで欠場が続き、復帰後1試合平均20.8点を記録したものの、3月7日のトロント・ラプターズ戦を最後に出場試合は19試合に留まった。
2004-2005根年シーズンは治療に専念し開幕から参加せず、シーズン途中ホーネッツからフィラデルフィア・76ersにトレードされ、翌シーズンも開幕から故障者リスト入り、シーズン途中76ersはマッシュバーンを解雇し、現役引退となった。
私にとってマッシュバーンといえばホーネッツ時代の印象が強く、地味だがインサイドからスリーポイントシュートまで確実に点数を重ね、終わってみれば20点前後は稼いでいるといった感じだった。あのディフェンスのスペシャリストS・ピッペンが最も守りづらい選手と発言したらしい。
動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hyyhAmnBacg&feature=player_embedded
Posted by Renton at 20:29│Comments(0)
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